ウォーキングとバイクと転職

50のオヤジが2年がかりで転職を目指します。息抜きのブログです。

カブで村を走る(山形市 旧高瀬村 旧東沢村)

〇山形市東部の山村2つを走ってみた。前回走った楯山村は風間。そこに「風間
アンダー」というのがある。山形市から行くと、このアンダーを過ぎてすぐ10Mくらいか、細道に右折する三叉路がある。めちゃくちゃ小さい三叉路なので注意が必要だが、そこを越えると高瀬村に入村できる。

(写真1 こういう風景に出会えたら正解だ。)


〇この細道を一番奥の集落、高沢までたどることにする。


(今日は山里をずっと走るコースになる)


〇高瀬村は山形市から二口峠を経て宮城に出る二口林道の起点だ。高瀬村は、下東山、上東山、切畑、高沢、中里、大森の6集落が点在する。昭和23年の人口は4,861人。明治初期に県令三島通庸が発破工事をガンガンかけて貫通した仙台への直結道路だったが、山容厳しくすぐに廃れた。


(写真2 中里の集落)


〇このあたりは緩やかな登りだ。近所の方に道を聞く。村役場はこの先の玉入(たまがいり)の学校の近くにあったらしい。


(写真3 高楯中学校)


〇現在このコースは工事が入って自動車は通行が難しい。カブを歩行者用通路を引っ張り押ししてクリア。この中学校は楯山村の「楯」と高瀬村の「高」を取った合同中学校になる。


〇学校を越えるとすぐに村役場跡に出る。


(写真4 旧高瀬村役場跡)


〇コミニティセンターになっているようだ。村内循環バスのバス停がある。1日2便あるようだ。


〇さらに先を行くと


(写真5 新道との合流点のちかくに可愛いお地蔵さん)


〇新道は広いがあくまでも旧道に沿って走る。車なら離合困難な狭路だ。


〇一気に山深くなり標高はグングンあがる。旧二口林道のはじまりだ。


(写真6 平石水に到着)


〇ここまでは人家がポツポツ続く。この先の道は森を蛇行する。電柱が続く限り人里はある。宮城側から二口峠を越えてきたのであろう、プロテクターを着込んだオフロードバイクのライダーとすれ違う。


〇平石水からはギアは1速、時速は15km以上出なくなる。


(ひたすら上る)


(写真7 高瀬の一番奥の集落 高沢)


〇道沿いに続く人家。それが途切れると電信柱も途切れる。行けるだけ行ってみた。


(写真8 カブの限界地点)


〇高瀬は紅花の里だ。だが今日はここに来るまで全く拝めなかった。アニメ「おもひでぽろぽろ」の舞台となった高瀬村だが、畑はこのようにススキ野原になっている。幾重にも重なる山の先に山形市が小さくかすんで見える。景色はいいところだと思う。ここから風間のアンダーまで、来た道をほぼノンアクセルで下りることも出来る。ダウンヒルは爽快だ。


〇せっかくなので山形市から宮城に抜ける南路、笹谷峠の麓の村である東沢村も走ってみた。


(笹谷峠の麓の村だ)


東沢村は釈迦堂、妙見寺、上宝沢、下宝沢、滑川、新山、関沢の7集落から成り立つ南村山郡の村だ。昭和23年の人口は3,837人。山形市との村境は現在の小白川3丁目以東という東沢衆が多いが、昭和4年の地図で見ると水源地よりちょっと東の


(写真9 県庁裏の新旧笹谷街道合流点)


〇ここが村の入口と俺は考える。地図でみるとこの辺っぽい。だいたい県庁から東が東沢村だと思うといい。ただし、隣の瀧山村との村境も近いので、この辺はちょっと入り組んでいる感じだ。


〇東沢は昔から人流盛んな笹谷峠の麓に位置し、馬見ヶ崎川の水源をもつ村だ。山形盆地第一の要衝だった。ここをおさえないと山形は干上がるし、文化も流入しなかった。


〇旧笹谷街道を東に行くと、すぐのところに妙見寺と釈迦堂という集落があり、


(写真10 旧東沢村役場跡。釈迦堂公民館になっていた)


(東沢村役場周辺。道はいい)


〇釈迦堂にある東沢小学校の前のT字路を直進すると宝沢を抜け蔵王地蔵岳への巡礼路に入る。左に曲がると笹谷峠に抜ける。このT字路が大変分かりづらい。俺もまっすぐ通り過ぎてしまった。下宝沢で村民に聞き進路を修正した。


(最奥の集落 関沢に向かう)


〇滑川から先は現役の国道286号線なので快適に走れる。旧笹谷街道との分岐は新山(にいやま)にある。山形から行くと、峠の茶屋前のT字路を左折する。すると雑木林を縫って舗装された狭路が山間に続いて行き、やがてまた新道と合流するのが関沢の入口になる。


(写真11 関沢入口のバス停。国道に沿う細道を集落に向かって登る)


〇L字のクランクを越えるとすぐに


(写真12 関沢の集落)


〇一方的に上る。標高1,000mの笹谷峠に向かって道はほぼ直登になる。かつての宿場町であり、山越え人の休憩所だが、今は静まり返る村落になっていた。しばらく上るが


(写真13 カブの限界点。旧笹谷街道関沢口)


〇ここから先は完全に登山道だ。TRでも辛い感じだ。一応アスファルトだが、風化、藪化していた。なお、集落のすぐそばを286号線が併走している。つづら折れのようだが、こっちは普通の車でもバイクでも山頂に登ることが出来る昭和の山岳道路だ。山頂付近には有耶無耶の関の跡がある。高校時代、市内から笹谷の山頂まで往復歩いたことがある。35年たつが、あの頃ここはこんなに廃れてなかったような気がする。


〇昔の東沢村近辺の風情をなつかしく写した動画があった。しかし、裏日本って・・・



山形市広報フィルム「開けゆく峠路」


〇山形市でPRした笹谷街道の改修計画。新道の必要性を強調していた。俺が高校くらいまでは、山形はどこに出るにも峠越えだったような気がする。市内を出れば未舗装路も多かったから、旅をするなら「オフロードの頑丈なバイク」じゃないとダメって思ってた。


〇山村2村まわってみたが・・・カブじゃつらい。次からはTRで回ることにする。

カブで村を走る(山形市 旧楯山村、旧山寺村)

〇午後になりカブにまたがる。そろそろ飽きてきたがコロナなので市内を村巡りした。


〇山形市の東側には昨日回った千歳や鈴川の村々があるが、その更に奥に村がある。奥羽山脈の麓に位置する村々で現在は山形市に併合されている。


(いよいよ奥の村々だ。山際を走る)


〇古代から近世にかけ、山形と宮城を結ぶ道がたくさんできたが、中でも山形市に入る道は大きく3つある。北から順に、山寺から二口峠を越えるルート、同じく高瀬から二口峠に出るルート、そして関沢から笹谷峠を越えるルートだ。なお、蔵王エコーラインや西蔵王高原道路など、昭和に入ってから開削した観光道路もあるが、街道とは呼べないので除外する。


〇今日はそのうちの北路である、二口峠の玄関に当たる村を回る。2021年9月現在、二口林道は全線開通している。林道なので途中からダートだ。宮城県の秋保温泉に出る最短ルートで観光の時期だけ藪払いされる。猿とクマに注意だ。


〇北路の玄関、楯山村。風間、青柳、十文字、吉野の4集落からなる。昭和23年の人口は5,011人。村役場は風間にあった。


(写真1 高禅院の駐車場が楯山村役場跡)


〇小さな雑貨屋を見つける。老婆2人が世間話をしている。村役場の位置はどこかと聞くと道向かいと答える。「私が嫁に来た時、ここが村役場だって教えてもらったよ。」かつて他村から嫁に来た女性が一番先に教えてもらう場所が村役場だった、というのはなんとなくうなずける。見ず知らずの村で不安な生活の中、頼れるものは限られていたと思う。


(写真2 山寺街道と風間の街並み)


〇「とごろでおめさん、どごがらきだ?」カブのナンバーを見て一安心のようだ。コロナの恐怖がここにもあった。「住職が村のことに詳しい。尋ねたらいいべ。」と勧められたが午後遅く出発した俺だ。話が長いと、ここ1村で終わる。おばあちゃん達にお礼を言って先を急ぐ。


〇山寺街道を走る。段々傾斜が厳しくなる。ここは一度自転車で登ったが結構な坂だ。山寺まで一方的なアップクライムが続く。カブなら超快適。デコデコと空冷単気筒エンジンの心地よい爆発音と振動を伴いながら坂をズイズイ登って行く。ただ、50カブだと少し辛いかもしれない。


(写真3 カブにはこういう風景が良く似合う)


〇と、道を間違えていた。高瀬村に入っていた。あわてて引き返す。


(立谷川沿いに東進する)


〇山寺街道に戻り山道を登ることしばし。山寺村に着く。下は金がかかるので風雅の国の駐車場に停めるが


(写真4 長期休業中の風雅の国)


〇コロナ禍の恐さだ。円仁さんが買えない。山を下りると


(写真5 山寺村の中心部)


〇山寺村は二口峠の入口にあたり、宝珠山の門前町として栄えた村だ。芭蕉の句で知られている。山寺、荒谷の2集落からなる。昭和23年の人口は5,031人。東西方向に立谷川が流れており、村は川沿いに細長く続く。


〇さて、ここからが大変だった。村役場の場所が分からない。対岸に渡ったり、道行く人に尋ねたり。誰も分からない。よく考えたらみな観光客だ。あきらめた。


〇帰路、となりの集落に雑貨屋を発見。レジ台近くでお茶を喫するおばあちゃん達に聞き込む。「ああ、もう跡形もねえが松の木が1本生えてるよ。」「カケフ蕎麦のちかくだ!」「カケフソバ屋ですね?」「んだんだ。」「んねずー。カケフの向いだ!」「んね、カケフだ。〇〇さんの家も役場だっけべ?」・・・みな記憶があいまいだが、カケフにいきゃいいらしい。


(写真6 瀧不動そば。山寺村の入口近くにある。)


〇俺が山形人でなければ解読できなかったと思う。「瀧不動」を「タキフ」と簡略。さらになまって「カケフ」。


〇蕎麦を食う。食い終わり店の方に聞き込み再開。嫁さんは知らない。お姑を連れてくる。「ああ、3軒下ですよ。お祭り道具の保管庫になってます。その前は山寺医院ってお医者だったけどやめちゃって。村役場はそこにありました。」嫁さんも「知らなかったあ。」


〇こういうのが大事だと思う。こうして嫁さんは役場の跡地を知る。でないとみんな忘れられていく。


(写真7 やっと見つけた旧山寺村役場跡)


〇ちなみに立派な松の木は


(たぶんこれだね)


〇この松の木は家2軒分、役場跡地から上がったところにある。このあたりまで役場の敷地だったのかもしれない。見事な蛇松だ。見ながら思う。俺には「立派な松が目印」っていう感覚は絶対に生まれない。せわしなく生きてると植物や花に一向に興味を示さない人間が出来上がる。それが不幸とは思わないが、そういう感覚も欲しいな、と思った。


〇今回はここで打ち止めとなった。


〇次なる高瀬村と東沢村は完全に山村だ。が、できればカブで通そうと思う。気楽だし小回りも効く。フレンドリーなバイクだから村人も気さくに話しかけてくれる。お天気もよく楽しい村回りだった。

村旅をしてみて思ったこと

〇前回のカブ旅で「千歳村は仙山線で発展した村」と書いた。仙山線の開設に関し、こんなバカ話がある。


〇仙台市は市街地を避け、北から西に田園や荒れ地を通した。仙台市民は鉄道を「利便性」で考えた。すぐに鉄道敷布ははじまり工事は順調に進んだ。


〇一方山形市は笹谷だ関山だ、やれ二口だとルート候補の住民同士が争論となり全く工事に入れなかった。山形市民は鉄道を「利権」で考えた。最後までもめ続けた議会はついに日本鉄道に判断を一任、二口越えに決定した。その後も住民達は決定事項に不満あり、としばらく紛糾を続けた。結果線路の計画は大いに遅れ、県境がつながるまでかなりの時間を要した。


〇この話なにかに似てるな、と思ったら中野村のくだりで書いた「最上連邦」の話だった。最後はお家騒動で自滅した最上家。戦国の世から昭和の初期まで、この土地に生きる人の心は変わらない。目先の小利を追い大利を逃す。視野が狭く感情的になり経済の遅滞を招く。「狷介頑迷な性格」が失策を繰り返す。



〇この話を聞くとたいがいの人は「ジジババはこれだがら!俺らの世代にゃこんなバカどもいねーぞ!」って笑う。確かにその時代の人と比べれば我々は高等教育を受けてるし、道徳観念も思考能力も飛躍的に進歩した。


〇だが、何年も散歩やバイク旅を続けて思ったこと、それは「土地と人は密接に関わる」ということだ。人の性格は生まれ育った土地の環境で大きく左右される。例えば一般的に南国が陽気で北国の人が陰湿だとする。その差は何か?積雪だと思う。常夏の国の人と、冬に水墨画の風景に閉じ込められる人では性格が変わる。


〇村木沢村のくだりで山形人が持つ「デッドスパイラル」、すなわち負の連鎖の話をした。これを止めるには山形人は少なくとも一度は故郷や住み慣れた場所を離れ、全く違う土地で生きそこでリセットをかける、この方法しか負の連鎖から逃れる方法はないかもしれない、と最近思い始めている。


〇また2世代どころか3世代、4世代同居率日本一を誇る山形県は、「家族の絆の大切さ」を知っている反面「冒険できない人々」になりがちだ。例えば子供が馬鹿をやる。調子にのって駆け回る。たいがいの両親は祖父は「この馬鹿!少しはおとなしくしなさい!」だ。だが、祖母や曾祖母はこういうだろう。「そげなバガやるな。近所からも馬鹿っていわれるぞ。」と。


〇子供をたしなめる際「いい加減にしなさい」は行為は止めるが発育は止めない。だが、「近所からの目を気にしろ」は行為と発育をともに止めてしまう。周囲の目を絶えず気にする子供が、リスクばかりを恐れる子供が出来上がる。失敗しないように生きるのが正しく生きることと勘違いしてしまう可能性が高い。特に世間体を気にして生きてきた高齢の女性に多い発言だ。ここに「デッドスパイラル」が生まれる。


〇リスクをとらずに生きる人間に失敗はないが成功もない。リスクを取れる人間は失敗もするが成功もする。リスクとは何か?損失の可能性だ。じゃあ、子供がはじける行為のリスクってなに?ご近所さんから「やんちゃなお孫さんね!」と言われるリスクってなに?そもそもそれってリスク?なにを失うのか?答えは「何も失わない」だ。スモールワールドに無理やり子孫を閉じ込める行為の方がよっぽどリスキーなんじゃないの?って思う。


〇うちの息子は生意気だ。就職も「なぜ日本国内って縛られる必要がある?」って言う。俺はそんな息子を見ると「いうねえ、お前!」と笑ってやる。同時に頼もしくもある。妻は多少不安なようだが、「そういう時代よね!」って言う。そうすることで息子は好きなように将来を考えることが出来る。俺は息子に「外国なんて云々」とか「そんな賭けみたいなこと云々」とは言わない。だって俺自身がそういう経験したことがないから。経験してないことを人聞きで説教するほど俺はえらくないし、人の噂話を手放しでは信じない人間だ。


〇例えば「すごくいい儲け話」ってたいがい嘘だし、ホントにあったら誰にも教えないと思う。噂なんてその程度のものだ。それに息子は息子の人生だ、自分で決めろって思ってる。


〇俺の転職もある意味、というか、かなりの部分がデッドスパイラルからの脱出なんだと思う。俺自身にも心の中にデッドスパイラルがある。そいつを乗り越えないと・・・明日がみえない気がする。