ウォーキングとバイクと転職

50のオヤジが2年がかりで転職を目指します。息抜きのブログです。

村旅をしてみて思ったこと

〇前回のカブ旅で「千歳村は仙山線で発展した村」と書いた。仙山線の開設に関し、こんなバカ話がある。


〇仙台市は市街地を避け、北から西に田園や荒れ地を通した。仙台市民は鉄道を「利便性」で考えた。すぐに鉄道敷布ははじまり工事は順調に進んだ。


〇一方山形市は笹谷だ関山だ、やれ二口だとルート候補の住民同士が争論となり全く工事に入れなかった。山形市民は鉄道を「利権」で考えた。最後までもめ続けた議会はついに日本鉄道に判断を一任、二口越えに決定した。その後も住民達は決定事項に不満あり、としばらく紛糾を続けた。結果線路の計画は大いに遅れ、県境がつながるまでかなりの時間を要した。


〇この話なにかに似てるな、と思ったら中野村のくだりで書いた「最上連邦」の話だった。最後はお家騒動で自滅した最上家。戦国の世から昭和の初期まで、この土地に生きる人の心は変わらない。目先の小利を追い大利を逃す。視野が狭く感情的になり経済の遅滞を招く。「狷介頑迷な性格」が失策を繰り返す。



〇この話を聞くとたいがいの人は「ジジババはこれだがら!俺らの世代にゃこんなバカどもいねーぞ!」って笑う。確かにその時代の人と比べれば我々は高等教育を受けてるし、道徳観念も思考能力も飛躍的に進歩した。


〇だが、何年も散歩やバイク旅を続けて思ったこと、それは「土地と人は密接に関わる」ということだ。人の性格は生まれ育った土地の環境で大きく左右される。例えば一般的に南国が陽気で北国の人が陰湿だとする。その差は何か?積雪だと思う。常夏の国の人と、冬に水墨画の風景に閉じ込められる人では性格が変わる。


〇村木沢村のくだりで山形人が持つ「デッドスパイラル」、すなわち負の連鎖の話をした。これを止めるには山形人は少なくとも一度は故郷や住み慣れた場所を離れ、全く違う土地で生きそこでリセットをかける、この方法しか負の連鎖から逃れる方法はないかもしれない、と最近思い始めている。


〇また2世代どころか3世代、4世代同居率日本一を誇る山形県は、「家族の絆の大切さ」を知っている反面「冒険できない人々」になりがちだ。例えば子供が馬鹿をやる。調子にのって駆け回る。たいがいの両親は祖父は「この馬鹿!少しはおとなしくしなさい!」だ。だが、祖母や曾祖母はこういうだろう。「そげなバガやるな。近所からも馬鹿っていわれるぞ。」と。


〇子供をたしなめる際「いい加減にしなさい」は行為は止めるが発育は止めない。だが、「近所からの目を気にしろ」は行為と発育をともに止めてしまう。周囲の目を絶えず気にする子供が、リスクばかりを恐れる子供が出来上がる。失敗しないように生きるのが正しく生きることと勘違いしてしまう可能性が高い。特に世間体を気にして生きてきた高齢の女性に多い発言だ。ここに「デッドスパイラル」が生まれる。


〇リスクをとらずに生きる人間に失敗はないが成功もない。リスクを取れる人間は失敗もするが成功もする。リスクとは何か?損失の可能性だ。じゃあ、子供がはじける行為のリスクってなに?ご近所さんから「やんちゃなお孫さんね!」と言われるリスクってなに?そもそもそれってリスク?なにを失うのか?答えは「何も失わない」だ。スモールワールドに無理やり子孫を閉じ込める行為の方がよっぽどリスキーなんじゃないの?って思う。


〇うちの息子は生意気だ。就職も「なぜ日本国内って縛られる必要がある?」って言う。俺はそんな息子を見ると「いうねえ、お前!」と笑ってやる。同時に頼もしくもある。妻は多少不安なようだが、「そういう時代よね!」って言う。そうすることで息子は好きなように将来を考えることが出来る。俺は息子に「外国なんて云々」とか「そんな賭けみたいなこと云々」とは言わない。だって俺自身がそういう経験したことがないから。経験してないことを人聞きで説教するほど俺はえらくないし、人の噂話を手放しでは信じない人間だ。


〇例えば「すごくいい儲け話」ってたいがい嘘だし、ホントにあったら誰にも教えないと思う。噂なんてその程度のものだ。それに息子は息子の人生だ、自分で決めろって思ってる。


〇俺の転職もある意味、というか、かなりの部分がデッドスパイラルからの脱出なんだと思う。俺自身にも心の中にデッドスパイラルがある。そいつを乗り越えないと・・・明日がみえない気がする。

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