カブで村を走る(山辺町旧相模村、山辺町)
〇大曾根村の替所を起点に、いよいよヒョロヒョロ街道の終点まで行ってみた。
(山辺町周辺)
〇本来の読みが町名のごとく「やまのべ」なのか駅名のごとく「やまべ」なのか分からないが、いずれにせよ「やまのへ」、つまり山のヘリという意味なんだと思う。
(写真1 ここが始点だ)
〇大曾根村の替所から相模村の小楯までの旧街道は消滅していた。換地処分でも入ったのか、一面の田んぼ。残念。小楯から出発する。
〇北上すると相模村(さがみむら)に入る。現在の山辺町になる。要害、根際、大塚の3集落からなる。なぜ「相模」なのかは分からない。例えばお隣の大曾根は荘園名だ。「相模」じゃなく「坂見」かな(山際だから)?国名?なんで「相模」なんだろ。ネットで調べたが答えが全く見つからなかった。
(写真2 大塚の中心部)
〇写真の道を左折し村役場がある要害を目指す。
(写真3 山際に張り付く集落が要害だ)
(写真4 相模村役場跡)
〇なんでこんなに街道から外れたところが中心なんだろ、と思ったら理由があった。今は草ボウボウだが、かつて要害から西の山に向かって白坂峠を越え玉虫沼に抜ける峠道があった。この道が作谷沢に抜ける一番の近道だった、と峠入口の看板にある。昭和40年ころまでは機能していたようだ。また、要害から北に根際を越え左沢に抜ける山際の道がある。ここもかつての交通の要衝だ。
〇大塚に戻り、その地名の由来の古墳を見る。
(写真5 大塚天神古墳。日本海側最北限の畿内式円墳)
〇ここが大和朝廷の勢力の限界点だ。ここから先は蝦夷の天地になる。
〇山辺町に向かうかつての田んぼも
(写真6 住宅が立ち並ぶ)
〇ヒョロヒョロ道も国道に昇格する。458号線。とはいえ相変わらずの狭路だ。
〇ついでに言っとくと、バイク乗りなら気づいたかもしれないが、写真は面倒なのでバイクに乗ったまま撮影している。でもそれはそれでこのブログを読んでる人達もカブツーリングの臨場感を味わうような感覚になれていいんじゃない?と後付けで思ったりした。結果オーライだ。
〇山辺町(やまのべまち)に入る。昭和14年当時の山辺町の人口は6,559人。山野辺2万石の城下町だ。
〇今の山辺の旧市街と言えば
(写真7 山辺町の旧市街通り)
この通りだが、昭和14年の地図にこの通りは存在しない。その頃のメインストリートは一本東にある
(写真8 こちらが古街道。山辺町役場跡近辺)
こっちの道で、今もこの通りが国道458号線になっている。ちなみに
(写真9 現在のメインストリート)
この大通りは昔からあるようだ。城は町の真ん中にある。この道は城から一番遠い東側の南北線。いわばバイパスだ。よそ者や怪しい者は城外を歩かせたようだ。
〇町の北側に船町に続く道がある。
(写真10 めちゃくちゃ細い)
〇そのうち砂利道になる。
(写真11 ハンターカブが欲しい)
〇いい加減ダートに飽きたので新道を走る。舗装道路のありがたみを実感する。一度須川を渡り再び東へ。大郷村に入村だ。