ウォーキングとバイクと転職

50のオヤジが2年がかりで転職を目指します。息抜きのブログです。

バイクで村をまわる(山形市 旧堀田村 旧金井村)

〇山形市近辺の村巡りもいよいよ最終回となった。


〇瀧山村は回らなかった。一度カブで村内をまわったことがあるからだ。この地区にかつて存在した瀧山信仰というのがある。リンク先のメタボルマンに「瀧山信仰」と検索を入れると出てくるので興味のある方は見て欲しい。古代から鎌倉に至るまで続いた謎の大型宗門の調査の記事を載せている。瀧山村は瀧山巡礼路上の村々の結合体だ。


〇当時の村役場は小立にあり、平清水、前田、青田、元木など、今の鉄砲町より南、火葬場より東の市街地は全て瀧山の麓まで瀧山村、と考えると分かりやすいと思う。昭和23年は人口5,733人に過ぎなかったが、山形市に併合されて後は急激に人口が増加した村だ。


〇ということで、今日は2村を行く。まずは堀田村だ。なぜ堀田なのかは分からない。田んぼを掘って開墾したのかもしれないし、山形城主だった堀田氏と関係あるのかもしれないが由来は不明だ。半郷に村役場があり、桜田、飯田、成沢、山田、金瓶、上野、山神、高湯の9つの集落からなる。


(半郷から高湯への道を走る)


〇半郷は蔵王の玄関口だ。旧羽州街道と蔵王高湯道の交差点近くにかつての村役場があった。いまは「やすらぎの里 半郷」になっている。今の旧13号線沿いではない。その前の江戸時代の羽州街道沿いだ。半郷の十字路の一本東の細道になる。


(写真1 地元の方が軽トラックで案内してくれた旧堀田村役場)


〇目印は旧村役場向かいの「才三郎そば」。醤油ラーメンがおすすめ。


(奇をてらわない昔ながらの味だ)


(堀田村役場近辺の旧羽州街道の街並み。かつての賑わいは想像できない)


〇半郷から高湯まではダラダラした登りの途中に集落が点在する。


(甘酒茶屋跡から高湯までは道が複数交わり旧道が分からなくなった)



(写真2 宿 周辺の集落 道沿いにこんな集落が点在する)


〇高湯につく。コロナの呪縛開放で人が多い。バイクを停めて高湯の集落を散策する。


(写真3 硫化水素臭と濛々たる湯気を上げる酢川)


〇この川の主成分はほぼほぼ


(こいつだ)


〇あちこちに温泉が湧き出る。集落自体が硫化スメルだ。石が湯の花で真っ白だ。ちなみに


(電気が通った頃の高湯の集落はこんな感じ、と看板に写真があった)


〇湯治客にしては随分元気が良さそうな壮漢ばかり「ムキッ」っと写っている。ねんねこを背負ったおしんみたいな少女もいる。車がなかった時代は麓の半郷から8KMをひたすら山登り。男がほとんどという客層もうなずける。強酸性のお湯は玉川と鳴子の中間くらいのビリビリ感だ。切り傷や擦り傷にガンガンしみる。効いてんだか患部がマヒするんだか分からないが、とにかく治りは早い。稲花餅もうまい。3週間もここにいれば「元気爆発!」になれると思う。


〇今は


(写真4 昔とたいして変わらない。狭い路地に昭和昭和した店や温泉が立ち並ぶ)


〇今も昔も蔵王温泉を資源に金を生み出してきた堀田村。年間200万人が訪れる。山の上は全てが観光地料金なので、買い物や食事は麓で済ませてから散策した方がいいと思う。



〇次は最後の村、南村山郡金井村に行く。金井村は東村山郡にも同名村があり紛らわしい。そのせいか、駅名も「金井」から「蔵王」に変更した村だ。ちなみに東村山郡の金井村も駅名を「東金井」にしている。だが、普通山形市民が金井といえば東村山郡の金井を指し、ここを金井とは呼ばない。「南山形」と呼んでいる。


〇金井村は松原に村役場があり、片谷地、黒沢、谷柏、津金沢、東谷地の6集落からなる。松原にはかつて番所があり、そのすぐ南に黒沢宿がある山形藩の羽州街道の南の出口だ。


(写真5 金井村役場跡。松原番所跡地でもある)


〇谷柏から長谷堂方面に抜ける。これで振り出しに戻った。山形市周辺の村を全て回った。


(今日はSRで回ってみた)


〇やっぱりカブの方がいいな、と思う。SRを使うと山道は楽だし移動時間も短縮できる。でもその辺に停まって地図見て、また停まってUターンして、という使い方になると鈍重に感じる。片手運転もつらい。キックもこっちの方がはるかに重い。200回もけっぽると体がダルくなる。かといってカブで高湯の登坂はきつかったと思う。今後は250のTRで回ろうと思う。重さもパワーも両車の中間だ。期待したい。

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