ウォーキングとバイクと転職

50のオヤジが2年がかりで転職を目指します。息抜きのブログです。

新しい職場で半年近くがたった

〇やっとこの頃今の職場にも慣れてきた。これまでとは全く違う仕事なのでFPの勉強どころではなかった。半年かかってやっと一息つけてきた。


〇今の職場で厄介なのは「間違いが許されない」ことだ。推測での返答には即座に突っ込みが入る。100%の正確さを要求される。俺はどっちかと言うと「鉈」であり「斧」なのだが、ここでは「剃刀」であり「カッター」であることが求められる。


〇森は見なくていい。見るのは木であり葉。葉脈も見れればなおよろし。「これも経験だ。」と頭をマッサラにして新しいスキルを習得した。10~20年選手がゴロゴロいるので享受するノウハウは深く鋭い。


〇さらに「師」と呼べる人にも会えた。その思考の深さに感嘆した。紳士でもある。おそらく場数も相当踏んでいる。ついて行くことにした。


〇そんな充実した日を過ごしながらも俺はここには長居しないと決めた。どうも俺は広く浅い仕事の方が向いている、と分かってきたからだ。人には向き不向きがある。


〇人事評価は前よりずっと公平だ。ゴルフもゴマすりもない。おかげで少しだけ収入が戻った。


〇俺にとって今の仕事は好奇心の対象であり再就職の練習だ。絶えず新しい知識を求め、派生分野のスキルも習得中だ。ゆえに机は山盛りで、ひっきりなしの電話をつかみながらあちこち駆け回っている。


〇そんな俺に職場は賛否両論らしい。今のワークスタイルがベストと思うのか、自分のやり方に固執し、未知の仕事を避ける傾向も強い。俺には「自分の可能性を閉じる行為」にしか見えない。ベターはあってもベストはない。ベストにしたらそこで進化は止まる。


〇そんなこんなで、ここ半年、自分や周囲を客観的かつ冷静に見る機会を得た。


〇俺の強みは「70%までの飲み込み」が人一倍速いことだ。弱みは「そこから80%、90%という完成度の高い仕事」まで行きつくことが出来ないことだ。理由は飽きてしまうからだ。おおよその仕組みが分かると興味を失い、次の対象に興味が移るからだ。


〇例えれば「きれいな女性を口説いて彼女にするまでは楽しいが、ゲットにした時点で熱が冷め、次の女性を口説いている。」そんな感じだ。自分でも困った性格だと思う。が、この次々沸きあがる好奇心を「創造力」と「あくなき前進力」と考えれば利点になる。「あばたもえくぼ」だ。強みも弱みも表裏一体。それが人間。この頃そう思う。


〇いずれにせよやっと落ち着いてきた。FPの勉強を再開したい。・・・一からやり直しかもしれない。

求人サイトに登録してみた

〇昨日求人サイトに登録した。年齢的に50を過ぎている俺の場合、サイトは中高年も対応できそうなものを選んだ。


〇登録する項目が多い。学歴から職歴、現在の年収から取得資格、希望業種に希望年収まで、作成するのが一苦労だ。履歴書などをあらかた作ってから転記するといいと思う。


〇希望年収は700万円以上にした。ちょっと高望みか。それでも減俸される前の俺の年収より少ない。「これぐらい欲しいな。働きがいも出るな。」という金額だ。


〇なんの取り柄もないオッサンの賃金と考えると「冗談言うな!」と笑われそうだ。今の俺はこの希望額の半分も収入を得てはいない。


〇子供は大学に在学中だ。とにかく金がかかる。よって質素倹約を励行している。それでも家計は火の車だ。移動手段はガス代をケチってカブにした。だが、例え自転車に代えても今の俺の賃金では家計を賄えない。


〇漢(おとこ)を通せばその職を辞さなければならない、ということを学んだ。理由は簡単だ。ここが日本だからだ。サラリーマン時代になっても会社内には村社会がある。弥生時代から日本には水田耕作を行う中で形成された共同扶助社会が不変のものとして存在する。


〇貧しいものはみんなで庇う。同時に出る杭は容赦なく打たれる。その傾向が田舎ほど顕著になる。それを今回は賃金の大幅カットを代償に学んだ。人生何事も経験だ。


〇会社のため諫言したことに後悔はない。誰かが言わなければならなかった。会社は俺を降格させたが意見には理解を示した。リスクの丸投げや責任逃れなど、相変わらず問題点は多いものの、「今改善しなければ会社が潰れる」という認識が会社全体に根付きはじめた。


〇人の心配もこのくらいにしておかなければならない。まずは俺の再就職だ。関西以東ならどこででも働く、で希望した。妻は地元に残ることを望んだが、おそらく地元には希望年収で受け入れる会社はない。地元に絞らなければ確率は上がる。蓄財を取り崩し生きている。来年の夏にはおそらく潰える。


〇妻は専業主婦だ。今求職活動中だが俺以上に悲惨だ。結婚してから数十年働いたことがないのだ。その不安は大きいだろう。俺の我意のため苦労をかけてすまない、と言うと「正直で一生懸命な人間ほど馬鹿を見る会社なんて見限っていいと思う。あなたは十分故郷に尽くしました。お客さんも社員もみんなあなたに感謝してると思う。」といってくれた。


〇いかんいかん、妻の心配をしている場合でもなかった。まずは自分だ。


〇今朝起きて「来てるかなあ?」とドキドキ。全然来てなかったらどうしよう、と恐る恐るメールボックスを開いてみる。


〇数十通のメールが入っていた。すごい、と正直思った。これが求人サイトの力か。もちろん採用してもらえるかどうかは別だが。


〇地元の会社は1つだけ。労働条件に「転勤不要です」とある。賃金条件は低い。転勤不要な会社にメリットはない。社内が澱み改革を拒絶する環境が生まれやすくなる。同じ構成員でマンネリ化した職場になりやすく競争力に劣る。時代に追随できなければ会社に未来はない。やはり故郷は捨てねばなるまい。


〇必要資格や条件を見る。やったことがないものばかりだ。今までの経験を生かすものは少ない。「そんな資格ないし・・・なんだ、この横文字は?BtoBビジネス経験者?はて?」みたいな感じで閲覧する。マーケティングとかアナライズとか、そんな仕事はしたことがないし・・・かといって「法人営業!」とか言われても・・・総じて甘くない。全く甘くない。俺が何ほども出来ない人間であることを改めて実感する。


〇それなら転職しないか、と言われればやっぱりしなければならない。斜陽産業の従業員は黙っていれば減給が続く。生きるための職探しなのだ。

バイクで村をまわる(山形市 旧堀田村 旧金井村)

〇山形市近辺の村巡りもいよいよ最終回となった。


〇瀧山村は回らなかった。一度カブで村内をまわったことがあるからだ。この地区にかつて存在した瀧山信仰というのがある。リンク先のメタボルマンに「瀧山信仰」と検索を入れると出てくるので興味のある方は見て欲しい。古代から鎌倉に至るまで続いた謎の大型宗門の調査の記事を載せている。瀧山村は瀧山巡礼路上の村々の結合体だ。


〇当時の村役場は小立にあり、平清水、前田、青田、元木など、今の鉄砲町より南、火葬場より東の市街地は全て瀧山の麓まで瀧山村、と考えると分かりやすいと思う。昭和23年は人口5,733人に過ぎなかったが、山形市に併合されて後は急激に人口が増加した村だ。


〇ということで、今日は2村を行く。まずは堀田村だ。なぜ堀田なのかは分からない。田んぼを掘って開墾したのかもしれないし、山形城主だった堀田氏と関係あるのかもしれないが由来は不明だ。半郷に村役場があり、桜田、飯田、成沢、山田、金瓶、上野、山神、高湯の9つの集落からなる。


(半郷から高湯への道を走る)


〇半郷は蔵王の玄関口だ。旧羽州街道と蔵王高湯道の交差点近くにかつての村役場があった。いまは「やすらぎの里 半郷」になっている。今の旧13号線沿いではない。その前の江戸時代の羽州街道沿いだ。半郷の十字路の一本東の細道になる。


(写真1 地元の方が軽トラックで案内してくれた旧堀田村役場)


〇目印は旧村役場向かいの「才三郎そば」。醤油ラーメンがおすすめ。


(奇をてらわない昔ながらの味だ)


(堀田村役場近辺の旧羽州街道の街並み。かつての賑わいは想像できない)


〇半郷から高湯まではダラダラした登りの途中に集落が点在する。


(甘酒茶屋跡から高湯までは道が複数交わり旧道が分からなくなった)



(写真2 宿 周辺の集落 道沿いにこんな集落が点在する)


〇高湯につく。コロナの呪縛開放で人が多い。バイクを停めて高湯の集落を散策する。


(写真3 硫化水素臭と濛々たる湯気を上げる酢川)


〇この川の主成分はほぼほぼ


(こいつだ)


〇あちこちに温泉が湧き出る。集落自体が硫化スメルだ。石が湯の花で真っ白だ。ちなみに


(電気が通った頃の高湯の集落はこんな感じ、と看板に写真があった)


〇湯治客にしては随分元気が良さそうな壮漢ばかり「ムキッ」っと写っている。ねんねこを背負ったおしんみたいな少女もいる。車がなかった時代は麓の半郷から8KMをひたすら山登り。男がほとんどという客層もうなずける。強酸性のお湯は玉川と鳴子の中間くらいのビリビリ感だ。切り傷や擦り傷にガンガンしみる。効いてんだか患部がマヒするんだか分からないが、とにかく治りは早い。稲花餅もうまい。3週間もここにいれば「元気爆発!」になれると思う。


〇今は


(写真4 昔とたいして変わらない。狭い路地に昭和昭和した店や温泉が立ち並ぶ)


〇今も昔も蔵王温泉を資源に金を生み出してきた堀田村。年間200万人が訪れる。山の上は全てが観光地料金なので、買い物や食事は麓で済ませてから散策した方がいいと思う。



〇次は最後の村、南村山郡金井村に行く。金井村は東村山郡にも同名村があり紛らわしい。そのせいか、駅名も「金井」から「蔵王」に変更した村だ。ちなみに東村山郡の金井村も駅名を「東金井」にしている。だが、普通山形市民が金井といえば東村山郡の金井を指し、ここを金井とは呼ばない。「南山形」と呼んでいる。


〇金井村は松原に村役場があり、片谷地、黒沢、谷柏、津金沢、東谷地の6集落からなる。松原にはかつて番所があり、そのすぐ南に黒沢宿がある山形藩の羽州街道の南の出口だ。


(写真5 金井村役場跡。松原番所跡地でもある)


〇谷柏から長谷堂方面に抜ける。これで振り出しに戻った。山形市周辺の村を全て回った。


(今日はSRで回ってみた)


〇やっぱりカブの方がいいな、と思う。SRを使うと山道は楽だし移動時間も短縮できる。でもその辺に停まって地図見て、また停まってUターンして、という使い方になると鈍重に感じる。片手運転もつらい。キックもこっちの方がはるかに重い。200回もけっぽると体がダルくなる。かといってカブで高湯の登坂はきつかったと思う。今後は250のTRで回ろうと思う。重さもパワーも両車の中間だ。期待したい。