ウォーキングとバイクと転職

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ご近所市町村散歩 その2

〇土曜日散歩したらだいぶ体が軽くなった。人間運動が必要と日曜日も出歩いてみた。


〇旧道を北上する。停まると背中から汗が噴き出す。37℃の猛暑だ。


〇停まりたくなのでずっと走っているうちに「そろそろ散歩しないと。」と思い、尾花沢市の商店街の駐車場にカブを停める。


(尾花沢の街を歩く)


〇「一晩膝丈」と言われる豪雪地帯。流雪溝もひときわでかい。一方で夏はひたすら暑い。スイカの産地でもある。


〇古い街だ、という感じはなんとなく分かる。「大室の塞」と呼ばれた蝦夷攻略の城塞がこの街の起源だ。


〇江戸時代、同じように奥羽の山を越えてここに来たのが松尾芭蕉だ。


(芭蕉の宿所から見る田。緑が美しい)


〇尾花沢に無事到着した芭蕉と曾良はほっとしたのか、ここ養泉寺で10泊した。東北は太古の昔から蝦夷が自由に駆け回った大地だ。そんな歴史感がある2人は道中極度に緊張したのだと思う。


〇東北男子は概して穏やかでのんびりしている。都人が作ったイメージからはほど遠い。弥生式の農耕民族から見れば、弓をつがえて獲物を追う東北人は野蛮で勇猛に見えた、というだけだと思う。


〇一方で女性はめっぽう気が強い。荒蝦夷と言ってもいい。「彼女主導」が好みの草食系男子におすすめだ。彼女時代からガンガン敷いてくる。その仕草も野生的だ。ラーメン屋に連れて行くと豪快に麺をすするし、最後に鼻も「チーン」と高々とかむ娘もいる。酒は飲むわ、体は丈夫だわ、山形の女性と付き合うのはジープに乗るようなものだ。武骨でしゃれっ気もないが、どんな悪路でもグイグイどこまでも引っ張っていってくれる姉御肌が多い。「大丈夫!ほれ、もう少しだ!私がついてるぞ!」それが山形の女性の魅力だ。ちなみに知事も女性だ。


(楯岡の切通しの大木)


〇村山市に行く。街に入る前に切通しがあり、大木が岩を挟んでいる。明治年間、県令の三島通庸はあちこちの道路を開削したりトンネルを掘った。日本史では悪評高いが、山形における三島の評価は悪くない。たくさんの工事殉職者が出たが、交通事情は見違えるほど良くなった。なにせ隣町に行くのに山を越えるのが当たり前だった土地柄だ。


(楯岡市街)


〇村山市楯岡。北村山郡の中心地だ。昭和ナイズされた街並み。ここも見るべきもないところだが、尾花沢同様、古い街並みを思わせるものがある。


〇楯岡城の城下町として発展。廃城後はたぶん尾花沢同様天領だ。天領は年貢が低く、百姓は身持ちがよかったらしい。


〇よく時代劇で悪代官と越後屋が水戸黄門に成敗されたものだが、代官に悪人は少なかったそうだ。旗本出の秀才が試験で合格してなる、いわば「幕府のエリート」でその政治は「他の模範たるべく」かじ取りされたという。逆に貧乏藩は年貢をきつくして一揆が多発した。


〇本来は「正義の代官と悪領主」なのだが、なぜか黄門様は逆だ。これはおそらく、番組で「今度はうちの街だよ!」と地方の人が楽しみにテレビを見た時、地元の殿様が黄門様に「悪領主め!」と成敗されたらブーイングを受けかねないから、大名はいい奴、家老を悪役にして・・・あと代官も悪役にしちゃえ、ってなったんだと思う。


〇お散歩距離14.6KM。汗がとまらないお散歩だった。

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