ウォーキングとバイクと転職

50のオヤジが2年がかりで転職を目指します。息抜きのブログです。

最良の選択が幸せか

〇無観客のオリンピックというのもすごい話だ。


〇盛り上げのため、例えばスマッシュが決まったら電子音で歓声がなるとかするといいかもって思う。


〇このところなかなかうまくいかないことが多い。それはあまりにも「割り切りすぎ」が入るからか、って思うことがある。


〇例えば五輪大臣。下準備もネゴりも終わり、もうすることもなく誰でもいいだろ、って何も分からないおばさんを起用し、ただ原稿を読ませる。記者もこの人に聞いても無駄だろうと踏み込めない。しかも森さんを辞任させられた当てつけか、敢えて女性を起用したところに嫌味がある。ボルテールの言葉を引用すれば「男がどんなに理屈をならべても女性の涙一滴にはかなわない。」のだ。失敗しても彼女も自民党も叩かれなくなる。彼女も自分の顔が売れるから、悪い話ではない。


〇一方で次期総理候補の河野さんにはワクチン担当だ。ここが首相の登竜門とばかりにあの元気な方も発言は慎重だ。こっちは実績作りに懸命だ。はやく段取りをつけないと首相になるのが遅れる。今の政治は「捨て駒」と「虎の子」の使い分けが明らかすぎて「それって3流昼メロ以下じゃない?」って思ってしまう。


〇俺のような素人にもバレる「マツリゴト」というのは見ていてドラマがない。「おっ!そう来たか!」というサプライズが「さすが政治家だよなあ。すげーな、この人達!」という感動を呼ぶ。それが善事でも、悪事でもだ。


〇小池さんはそのあたりは絶妙だ。もとよりハードスケジュールなんだろうが、たまに「こほッ」とせき込むところが日本男児の同情を誘う。女性の中には「好きでもない女性を助けたいと思うの?変なの!」って人がたまにいる。答えはYESだ。老若親疎関係なく助ける。「好きな人の場合は何が違うの?」と聞かれたことがある。答えは「そいつのために死ねるか?」だ。「死ねる。」と思う相手が妻であり恋人だ、と思う。


〇話がそれた。判断を割り切ると確かにコスパは高まる。でも冒険できないから、挑戦を捨てるから、次がない。可能性があるものも斬る。簡単で誰でも出来るし、一見最良の選択っぽいが発展性はない。リスクを最小限に抑えることだけが目的なら使ってもいい手だが、多用すると国が滅びる。


〇俺もそうだが、人生も政治も仕事も、いつも人間は取捨選択を迫られ日常を過ごす。スーパーの買い物1つにしても選択だ。その時にその場の価値や判断で「秤にかけて」「より堅実なものを消去法で」選び続けたとする。果たしてその結果は・・・分からない。俺はなんだかんだ言いながら小心者で冒険しないほうだから。でも「テーパー」になる傾向はある。尻つぼみだ。そして最後は生きていけなくなる。


〇思考する、選択する、そしてまた考える。でも「どれが最良か?」ってこの歳になっても分からない。いっそ直感に従い「えいっ!」ってのもいいのかも、って思う時がある。少なくともいろんな方法を試したいな、とは思う。考えるから不幸になる場合もあるかもしれない。本能のままの行動が幸せをつかむこともあるんじゃないのかって思うことがある。


〇人間の悩みは自分で勝手に作っているのかもしれない。自分の感情で失望し、自分の感情でうれしくなる。結局物事をどうとらえるかなんて自分の感情次第だとしたら同じことをしても幸せな人、不幸な人が出てくる。だとすれば・・・幸せってなんだ?あまり考えないこと?自由に生きること?悟るってこと?・・・なんか空海みたいになってきた。面倒臭いので考えるのをやめた。俺は空海にはとてもなれない。彼は結論を出したが、俺は一生出せない気がする。


〇何書いてんだが分からなくなってきた。ただ、「このまんまの選択を繰り返して大丈夫か?」となんとなく不安に駆られる。今日は安い豚コマじゃなく、アメリカ産の牛肉でも買ってみたい。黒毛和牛という選択に踏み切れない小市民の俺がいる。

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