ウォーキングとバイクと転職

50のオヤジが2年がかりで転職を目指します。息抜きのブログです。

転職した人達とコンタクトをとる

〇俺より先に転職した人達がいる。ここ1週間で数人に連絡をとり、今の心境を聞いた。


〇みな一様にいうことは「充実してるよ。」だった。就職活動に2年くらいはかけたらしい。当然悩んだはずだ。


〇妻もいる。子供もいる。それなりの収入ももらっていた。そんなベテランや一騎当千と言われたビジネスマンがなぜやめるのか。俺が連絡をとった人たちは、当時みな会社の宝物みたいな人材達だった。


〇仕事一筋で自分の出世より会社の行く末を案じ、故郷を語り、自分のビジョンを持ち、ゴマなどすらず実力勝負で上っていった数少ない本物に厳選して連絡をとった。


〇収入は増えたが仕事に忙殺されている人、収入は減ったが一国一城の主になった人もいる。確かなことはそれもこれも全部承知の上で転職したことだ。今の境遇を失敗談や笑い話を交えながら話してくれた。


〇彼らが言った言葉はそれぞれだが、共通していたことがある。それは「よく考えろ。」ってことだ。自己実現ってなんだ、そう考えた時、「年齢で妥協する、今よりましな条件なら、なんて程度なら転職活動をやめろ。」ということだ。「今来ている話は最高の話かもしれない。だが1年後にも同じような話がくるかもしれない。大事なことは、それが本心から納得いくやりたい仕事か、ってことなんだ。よく考えろ。それでも俺は移った方がいい、と思えた時は行け。でないと転職を繰り返すぞ。」


〇会社に見切りをつけるタイミングは人それぞれだ。会社のすべてが悪いわけじゃない。乗り切るために必死に努力しているのは分かる。だが、例えれば武士を捨て貴族化した平家のように、組織は時に最も大事なコアを失う場合がある。


〇ここからは俺の勝手な考え方だ。


〇採算とか世間体とか現代社会への順応は生きていくために必要だ。だが、例えば自動車業界を考えた時、ランエボとパジェロを捨てた三菱が生きたのか?反対に、4WDを捨てないスバル、スカイラインを作り続ける日産が失敗したのか?机上の論理では三菱が正しく、スバルと日産は誤りになるはずだ。


〇なぜ理論通りにいかなかったのか。それは「あなたの会社の売りはなんですか?」を無視して採算や世間順応だけで考えた三菱と、不採算でも時代に逆行しても企業の存在意義を大事にしたスバルと日産の差だったんじゃないのか、と思う。


〇「技術が売り」の三菱がその技術の粋を集めた車を作るのをやめたら何が残る?「雪道にめっぽう強い」だけの理由で俺はスバル車に乗っている。「高性能でやたら速い車」を作る日産のイメージの象徴はスカイラインだ。作るのをやめたら企業イメージを保てない。そういうことだと思う。本業がバイク屋のホンダは別として、車だけで生き残るなら自分色を捨てては生き残れないと思う。


〇俺が雪国に住んでなければトヨタのFF車を買ってたと思う。安くて頑丈、故障もしないイメージがあるからだ。それに同じ金ならバイクに回した方がずっと楽しく生活できる。俺みたいな「車は白物家電」感覚の人間は多いと思う。そういう人間をどうやってトヨタからひきはがすのか、が大事なんだと思う。


〇話を戻す。やめた先輩たちは平家を去った屈強な武士達そのものだ。武士を捨て官位漬けになった平家の結末を歴史は教えてくれる。うちの会社は末期の平家に似ている。


〇電話を切る間際、みな笑って言ってくれた。「これからの活動は決して無駄にはならないと思う。例え再就職できずに会社に残っても、お前は一回り大きくなってるよ。」


〇こういう人間ほどつなぎ留めておかなきゃならないのに、惜しい、と思う。得難い人ほど去っていく。故郷のために直言し会社のために尽くした人が、みな会社をやめていく。


〇俺は再就職活動を続ける。いろんな人にあってみよう。そう思った。そのためにまずは英語だ。

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