ウォーキングとバイクと転職

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自転車で村を走る(山形市旧椹沢村、旧飯塚村、旧南沼原村))

〇椹(さわら)と書いて「くぬぎ」と読むのはおかしい。でも山形では「椚」ではなく「椹」と表記する場合があり、椹沢村も「くぬぎざわむら」と読む。多分誤記なのだが、昔は文盲率が高かったので、別におかしいと思う人もほとんどいなかったんだと思う。江戸期は「楢沢村(ならさわむら)」と表記したものがある。かなりいい加減だ。


〇自転車で回る山形市の旧村。今回は南村山郡3村まとめて行ってみた。


(椹沢村、飯塚村、南沼原村の3村を回る)


〇まずは椹沢村。前日回った金井村は東村山郡だったが、椹沢村以南は南村山郡だ。上山町が郡都になっていた。昭和29年に山形市に編入された。ちなみに現在は南村山郡は存在しない。上山が市に昇格し郡は消滅した。


〇多少脱線するが、この地図が出来たころの昭和10年、山形は人口約7万人、仙台が22万人の時代だった。同じ年の浦和が4万5千人、千葉が5万8千人だから当時としては山形は大きな街で「東北の商都」と呼ばれたのもあながち嘘ではなかったんだと思う(今は見る影もないが)。一方で小樽15万人、呉23万人とニシン漁の基地や軍港都市に人がやたらと集まった時代でもあったようだ。ちなみに東京市は588万人。世田谷村や杉並町といった近隣の町村も人口に含んでいたのか、その辺は分からないが、今も昔も東京は東洋のマンモス都市だ。


〇下椹沢、上椹沢の2つの集落から成り立つ。地図で見る限り戸数が多い。実際に行ってみると


(写真1 村役場候補地その1)


〇田園が広がり人はまばらだ。ひまわりやコスモスの畑が有名らしい。


(写真2 村役場候補地その2 椹沢交流センター)


〇ここが村役場の跡地っぽいが当時の痕跡を拾うのが難しい地区だ。中世は「椹沢楯」があったらしく、城下町としての歴史を持っている。昭和のはじめは山形城の南門を出て、西にまっすぐ行くと椹沢につく。出城との往還道が残っていたのだろう。


〇そこから更に南に少し行くと飯塚村(いいづかむら)に出る。由来は「めしづか」だそうで、とてもご利益のあるお稲荷様があり、お供えの飯が塚のように山盛りに備えられたから、ということだ。
もっとも俺はそのお稲荷様を知らなかったし、前を通ったが誰も参拝者はいなかった。


(写真3 飯塚の半鐘。気温がぐんぐん上がる)


〇ここは急速に団地化したので村役場の位置が分からないが、たぶんここだと思う。


(写真4 樹木がなんとなく役場っぽいから・・・ここにした)


〇飯塚村は飯塚しか集落がない単村だった。ここも椹沢村と同様に昭和29年、山形市に編入された。


〇一旦西に戻り、下飯塚から南下して沼木に入る。南沼原村(みなみぬまはらむら)だ。「南館」「沼木」「吉原」の3つの集落が1村を形成、それぞれの頭文字をとり「南沼原村」となる。


(写真5 沼木街道)


〇ここから先、南館を目指すが、かつての街道は失われている。


(写真6 かつての畦道も4車線道路)


〇俺が子供の頃、このあたりは「高堂」と呼ばれ一面の田畑で砂利道だったが、南沼原村出身の市長の在任が長かったため今では立派な市街地となった。村民にとってはこの上なくいい市長だったと思う。


(写真7 南沼原村役場跡)


〇跡形もない。完全に街中だが道向かいには「南館簡易郵便局」があり、村時代の名残がのこる。南館は山形城の外れ、上町の城戸口の出口のすぐ南にあり、山形城下を出た旅人が買い忘れものなどを調達したところだ。伊達政宗の母、義姫が伊達家を追放され山形に戻りここに住んだ。「城の南の館」というのが地名の由来だ。


〇村役場跡を出て時間があるので、も少し自転車をこいでみる。小滝街道を走る。


(写真8 南館の追分 右が沼木街道 左が小滝街道)


〇昼飯にラーメン屋による。旧道沿いにある。結構うまかった。のせ野菜がシャキシャキだ。


(写真8 旅先のラーメン屋さわばた。次々と客が入る)


〇さてここからが問題だった。


(迷走がはじまった。本来は青字の小滝街道コース。おそらく赤字に迷い込んだ)


〇「前明石」まで旧道をいけば着けると走るが、「富中」で道が袋小路に入る。住宅地や工業団地がかつての風景を一変させていた。ようやくそれらしい道に出るも


(写真9 前明石?おかしくないか?)


〇さらに迷い込む。かつての道路は1本だが、複数併走し道は複雑だ。


(写真10 乱立する公共施設群)


〇「松栄町」とある。もちろんそんな町は昭和初期の地図には存在しない。


〇何とかなる、と大きな公園で一休み。西公園だ。あれ、ここって狐越街道じゃ・・・


(写真11 冨神山が左に見える。右に見えなきゃいけないのに)


〇どっと疲れがほとばしる。やはりいつの間にか狐越街道に出ている。なんで?追分でちゃんと小滝街道に入ったはず・・・まさに「狐につままれた」ような感覚だ。


〇さすがに続けるのは断念した。Uターンして市内へ戻る。飯塚から椹沢へと引き返す。


(山形中央IC下で一休み。疲労が倍増した最後だった)


〇走行距離25KM。所要時間4時間。アスファルトにべたりと座りながら一服する。村巡り2日目。楽しいかと聞かれれば、「あんまり楽しくない」というのが正直なところだ。次はカブでまわるつもりだ。カブを村の入口に停め、そこから集落を歩いた方が楽しそうだ。


〇とりあえずコロナが落ち着くまで息抜きをこれでつなごうと思う。

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