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FP1級を勉強中 その4

〇FP1級の勉強をはじめて25時間がたった。2級の復習の80%を完了したところだ。


〇あと575時間勉強すれば合格するらしい。ここまでくる間の2か月の間に、別の資格取得が1つに資格更新が2つあった。さらにここから先2か月で1つの資格取得と1つの資格更新を予定している。続く時は続く。トイレットペーパーが切れるとシャンプーや洗顔料が同時切れするのと一緒だ。5年に1回の更新が今春集中した。FPの勉強をするかたわら、片手間でやっつけているが、正直都度時間を割かれるのが面倒だ。


〇それでもそれらの資格試験はFPに比べりゃ楽なものだ。300ページほどテキストを読み、2回くらい過去問を解けば合格できる。それに比べるとFP1級は拷問だ。


〇ここまでFP1級に関するテキストのインプットは総計1,800ページに及ぶ。ここから先300ページを読まなきゃならない。それでやっと2級のおさらいとベースになる基礎知識の習得が終わる。そこからはじめて1級のテキストと実践問題に進む。気が遠くなる。


〇俺のやり方は速習だ。単純に勉強時間で割ったところ、1時間70ページほど読み込みしている。分からないところはとばしてグイグイ進む。進んだ実感がないとなかなか次に続かないからだ。


〇ちなみにちょっと前に中学3年間の数学を再履修したことがある。県立高校の入試問題にコンスタントで90点以上取れるレベルまで3か月、140時間かかった。最後は数検3級で満点取って締めとした。なんでそんなバカをやったかというと、数学的発想や思考が俺の脳みそになかったからだ。やって良かった、と思ってる。ボケ防止にもなった。本当は数学の勉強を続けたかったんだが、金と時間の余裕がないと出来ない。今は生活のための資格取得が先だ。


〇俺は若いころから貧乏だった。金が手についたことがない。入ってもすぐ出るタチで、そのうち「金は天下のまわりもの」と割り切るようになった。いつも「裸一貫」「徒手空拳」のスタートに立たされた。ただ、その分いろんな経験もできた。金を失うたび、試練をのりきるたび、新しい知識や教訓を体に刻んできた。それを「財産」と考えるようにした。親と神様は丈夫な体と生き抜く知恵を俺にくれた。それがなければ俺はとうの昔にくたばっていたかもしれない。両者に感謝している。


〇雪が降り積もる静寂の中を鬱々と流れる最上川。「おしん」の時代から変わらない風景。その風景を眺める山形人の顔は、それ以上の哀愁と寂寞感にあふれる。厳しい風土に暮らす人々は寡黙で愚直だ。「清貧は美徳ではない。」そう説き続けた。「清貧」を信条とするのなら、何故金に執着するのか?少しの損も許せないのか?単に貧しいだけだ。心も卑屈になる。


〇この地の多くの人は「どの道ここに生きてちゃどうにもならない。」という諦めが心を覆っている。なにせ出羽開国以来、1,000年以上貧困が続いた土地だ。好況の恩恵は少なく、不景気は一番先に煽りを受ける。またか、と皆慣れている。人それぞれだが、「俺はそんな生き方いやだね。」って思う。


〇俺の心の中にも東北の風土が培った陰湿で汚濁した闇がある。だからこんな文を書いてしまう。ネクラなんだと思う。だが、それを払い除けたいと思っている。言うなれば「鬼滅の刃の禰豆子」みたいなもんだ。鬼なんだけど鬼である自分を否定する。俺は山形人だが俺の中にあるネガティブな山形気質を否定する。だからこういう文章はこれ以降書かないことにする。


〇俺はあがく。精一杯あがく。それでもダメならあきらめる。みっともないしガキみたいに見えるだろう。でも、最初から何もしないであきらめるのは負け犬以外の何物でもない、と思う。少なくともあがけば「生きてる実感」は得られる。


〇壁に立ち向かわない人間に「失敗」はない。でも「成功」もない。人生の第三者に自分を立たせたことはないが、どんな気分になるんだろう?と考える。「あなたのアイデンティティは?」と聞かれて「ただ生きてる。飯食ってクソをする。」と答える・・・ハードボイルドチックに答えるとサマになりそうだが、俺には無理っぽい。


〇うちの息子は「おとうは馬鹿だ。無茶だ。」とケラケラ笑う。それでいい、と思う。馬鹿で無茶な父がいる。その背中は全然カッコ良くない。でも、「こいつなりに生きてる」とか「生きることって大変なんだ」とか、そんな思いが残せればそれでいいと思う。


〇コロナで外出自粛。いい天気だが勉強を進めることにする。

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